オーケストラの音楽の方向性と人間関係

こんばんは!

今夜Giver vs Takerの記事の続き書こうと思ったのですが、思いのほか時間がかかったので今日はコラムちっくに自分の考えをまとめます。

 

昨日の午後オーケストラの練習がありました。実ははじめての練習参加だったのですが、コンミスと弾き方が合わなくて本当に苦労しました。本当に曲の捉え方が違くて困りました。

 

コンミスの方は、曲の推進力を生かすよりも、テンポを一定にする事を最優先に考えられていました。

僕もテンポは一定にするべきなんじゃないかっと高校生の時に考え警察官みたいに周りの暴走を制御しようとしましたが、結局それはみんなの推進力を止めて曲の生き生きとした勢いを止めていたのでした。すると音楽的な表現ではなくてテンポを優先してしまうことになるので、本当の音楽をしたことにはならないと思ったのです。

それからは、テンポ通り弾くのが正しいわけではないと理解して、仮に一時的にスピードが上がってもそれは音楽的推進力やフレーズのことを考えれば当然のものなのだろうと理解してきました。

ところが、今回の練習でコンミスがテンポを保つように後ろにサインをするのでせっかくの音楽的な推進力も止まってしまいました。でもオーケストラのコンミスの方向性に合わせないとそれこそセクションがバラバラになりかねませんので必死に合わせました。もちろん個人的にはかなり不服でした。

帰ってから録音を聴きました。そしたら推進力を持って突き進めばきちんとパズルのピースみたいにはまったのに、テンポの一定を意識するあまり、全く音楽的じゃないし、オーケストラ全体が推進しているのにヴァイオリンだけ推進力がなく立ち止まり、結局バラバラになってしまうという現象が起きました。

 

ここでリーダーの自然発生説というのを閃いたのですが。リーダーの自然発生説については後日記事にします。

 

 

でも、ポイントはここからで、やはりここまで意見の相違、音楽の方向性の相違が出るというのは、完成形のイメージがそれぞれで異なるからではないかと思うのです。

でもこれは人間関係でも同じことが言えるんじゃないかと思っていて、もし仮に相手のためだと思って強く言ってアドバイスしたとしますよね?っでその相手がふてくされたように、その人のことを嫌いになってしまったとします。当然アドバイスした方は、その理不尽・不可解な行動に疑問を持つでしょう。

こうした光景はよく見聞きしますが、これも理想の人間関係のイメージの差異からきてるのではないかと思います。

 

アドバイスした人は、それぞれがそれぞれの意見や考え方を持ち、相手のためになるなら強く言ってもいいし、自分が言われてもありがたく思うと思います。でもされた方の人は、そういう強く言い合う関係性を理想の人間関係の形としては持っておらず、気持ちで共感することを主に求めているのかもしれません。

 

まとめますと、やっぱりみんな理想的な演奏や人間関係を求めているんだけど、それぞれ理想とする形が異なるので、そのアプローチに差が出てしまう。すなわち、アプローチの仕方レベルでどちらかが正しいのかを演奏でも人間関係でも議論しがちだけど結局は理想形が違うんだからその取り組みは無意味なんじゃないかと思ってしまいます。

 

日記なので許してください。最後までありがとうございます。

今日はこんな感じで。おやすみなさい。